グリーンランド撮影記 Vol.4 — 自然の中に住まわせてもらっている
- Yuki

- 2024年8月26日
- 読了時間: 12分
Vol.1では、グリーンランドという場所や、日本からイルリサットまでの道のり、この土地に根付く文化や暮らしについてご紹介しました。
Vol.2では、初めて体験した白夜や4日間のミッドナイトクルージング、そして空から眺めたイルリサット・アイスフィヨルドについて。
Vol.3では、カヤックやトレッキングを通して、実際に歩き、触れ、身体いっぱいで感じたグリーンランドについてお届けしました。
そして、グリーンランド撮影記も今回が最後です。
最後のVol.4では、この旅を通して私が感じたことを書いてみたいと思います。
なぜ、これほどまでにグリーンランドの自然に心を動かされたのか。
そして、そこで撮影した写真を今改めて見返した時に、どんなことを思うのか。
アイスランドとは、また違う自然
グリーンランドを訪れるまで、私の中で最も強く「自然の力」を感じた場所はアイスランドでした。
吹き飛ばされそうになるほどの強風の中で撮影し、巨大な滝の前に立ち、火山によってつくられた大地を歩き、夜には頭上いっぱいに広がるオーロラを見上げました。
アイスランドでは、自然が確かに「生きている」ということを、身体の奥から感じたことを今でもよく覚えています。
それから約1年半後に訪れたグリーンランドでは、同じ北の土地でありながら、また少し違う感覚がありました。
もちろんイルリサットには町があり、そこには人々の日々の暮らしがあります。
けれど、町を少し離れると、人の手がほとんど加わっていないように感じられる大地がどこまでも続いていました。
建物も道路も見えなくなり、視界を埋め尽くすのは岩や海、空、そして氷です。
人間がつくったものよりも、遥かに大きな自然の存在がそこにあり、私はその中へほんの少しお邪魔させてもらっているような感覚になりました。
実際に世界遺産であるイルリサット・アイスフィヨルド周辺には、道路や人工的な構造物がほとんど存在しない原生的な景観が残されています。
だからなのでしょうか。
私には、以前訪れたアイスランドよりもさらに「ありのままの地球」に近い場所へ来たように感じられました。
これがすべて、自然によって生まれたもの
海の上では、自分の何倍、何十倍もの大きさの氷山を見ました。
空からアイスフィヨルドを見下ろせば、視界の果てまで氷の世界が続いていました。
真夜中には、沈みきらない大きな太陽が海を照らし、風のない日にはその光が水面に映って、太陽が二つあるような不思議な景色にも出会いました。
足元へ目を向ければ、岩の隙間から小さな花が一生懸命に咲いていました。
その一つひとつを見ながら、何度も思ったことがあります。
これが全部、自然によって生まれたものなのだということです。
氷の形を決めた人はいませんし、空の色を選んだ人もいません。
どこに太陽の光を落とすのか、どんな曲線を氷に描くのかを計算した人もいないのに、目の前には言葉を失ってしまうほど美しい景色が広がっています。
空撮をしながら氷の模様を見ていた時には、自然は本当にすごいアーティストだな、と思いました。
長い時間をかけて降り積もった雪が氷となり、そこへ光や水、風、温度、重力といったさまざまなものが作用して、その時にしか存在しない形をつくっていきます。
それは、誰にも再現することのできない自然の作品のようでした。
私がカメラを向けている景色の中には、人間の時間軸では想像することも難しいほど長い地球の時間が流れています。
そう考えた時、綺麗だという感動と同時に、この場所を前にして自分がいかに小さな存在なのかを感じました。
自分の小ささを知ること
不思議なことに、その「小ささ」は決して寂しいものではありませんでした。
むしろ、とても心地よかったのです。
日常生活の中にいると、自分の目の前にあることが世界のすべてのように感じてしまうことがあります。
考えて、悩んで、また考えて。
そんなふうに自分の思考の中へ入り込んでしまうこともあります。
けれど、グリーンランドで巨大な氷山を前にすると、それまで頭の中を占めていたものが、とても小さなものに思えてきました。
私が何を考えていても、海は動き続け、風は吹き、太陽は昇ります。
目の前にある氷は、私が生まれる遥か以前からこの地球に存在してきました。
その大きな時間の中に自分も生きているのだと思うと、不思議と心が軽くなりました。
「私は、この大きな世界の一部なんだ。」
そう思えることが、私にはとても心地よかったのです。
自分が小さくなったというより、世界がこんなにも大きかったことを思い出した、と言ったほうが近いのかもしれません。
自然の中に、住まわせてもらっている
そして6日間、グリーンランドの自然の中で過ごしているうちに、何度も心に浮かんだことがありました。
それは、私たち人間が自然を所有しているのではなく、自然の中に住まわせてもらっているということです。
これは、以前アイスランドを訪れた時にも感じたことでした。
自然は私たちに、とても美しい景色を見せてくれます。
けれど、それは人間のためにつくられた景色ではありません。
人が見ていても見ていなくても風は吹き、海は動き、氷は流れ、植物は育ち、動物たちはそこで生きています。
その大きな循環の中に、私たち人間の暮らしも含まれているのだと思います。
グリーンランドでは、自然を自分たちの都合に合わせるというより、その自然に合わせながら暮らしてきた人々の歴史にも触れました。
カヤックや犬ぞりも、厳しい自然環境の中で移動し、暮らしていくために生まれ、受け継がれてきたものです。
そうした文化を知るほど、「自然と共に生きる」という言葉が、以前よりも少し深く感じられるようになりました。
人間だからこそ、生み出せる美しさもある
一方で、この旅を通して私が感じたのは、「自然だけが素晴らしい」ということではありませんでした。
自然には、自然にしか生み出せない圧倒的な美しさがあります。
何千年、何万年という時間がつくる氷や、海と風が描く模様、毎日少しずつ変わっていく空の色は、人間が完全に再現できるものではありません。
でも、人間には人間だからこそ生み出せる美しさがあると思います。
イルリサットの町に並ぶカラフルな家々もそうでした。
厳しい環境の中で暮らすために生まれた知恵や道具、建築、そして絵画や音楽、デザインも、人間だからこそつくることのできるものです。
そして私は、写真もその一つだと思っています。
人は自然を見て心を動かされ、その感動を別の形にして、まだその景色を知らない誰かへ届けることができます。
それは、とても人間らしく、美しいことなのではないでしょうか。
自然にしか生み出せない美しさと、人間だからこそ生み出せる美しさ。
どちらか一方を選ぶのではなく、お互いを大切にしながら共存していけたらいい。
グリーンランドの自然を前にして、そんなことを改めて思いました。
私が写真を撮る理由
私はこれまで、自然に何度も励ましてもらってきました。
ただ空を見たり、海を眺めたり、光に包まれたり
圧倒的な景色の前に立ったりするだけなのに、心が澄んでいくように感じることがあります。
グリーンランドでも、そんな瞬間が何度もありました。
だから私は、自然とつながった瞬間に感じる喜びを写真に残したいと思っています。
私が撮りたいのは、単に「氷山が写っている写真」ではありません。
初めて巨大な氷山を目の前にした時の驚きや、真夜中に大きな太陽を見上げた時の高揚感、ピンク色に染まった空と海を前にした時の幸福感、海の上で感じた安心感まで一緒に写すことができたらと思っています。
空から果てしなく続く氷を見下ろした時、私は素直に
「世界って、こんなにも美しいんだ。」
と思いました。
その時に自分の中に生まれた感情まで一枚の写真の中にそっと残したい。
きっと、それが私にとって写真を撮るということなのだと思います。
自然から受け取った感動を、写真に託して
撮影をしていると
「この景色、私だけが見ているのはもったいない!」
と思うことがあります。
グリーンランドでは、本当に何度もそう思いました。笑
海面に霧がかかり、その向こうに巨大な氷山が浮かんでいた時も、ピンク色に染まった空の下で海面にもう一つの太陽が現れた時も、空から見た氷がエメラルドグリーンの宝石のように輝いていた時も。
綺麗だと思った次の瞬間には、「見てほしい!」という気持ちが湧いていました。
私は氷山をつくることも、オーロラを出すことも、白夜の太陽をつくることもできません。
でも、自然がその時だけ見せてくれた美しさを写真に収めて、誰かへ届けることはできます。
そして、その一枚を見てくださった方が、
「こんな場所が地球にあるんだ。」
「自然ってすごいな。」
「いつか自分の目でも見てみたいな。」
と少しでも感じてくださったなら、私が自然からいただいた感動が、写真を通してまた別の誰かへつながっていきます。
そんなふうに自然ともう一度つながる reconnectの輪 を少しずつ広げていけたら。
それは、clearとして写真を撮り、作品を発表していく中で、これからも大切にしていきたいことです。
「clear」という名前と、グリーンランド
自然の中にいると、心が澄んでいくように感じる瞬間があります。
余計なことを考えず、ただ目の前にある光を見て、風を感じて、今この瞬間にいる。
グリーンランドでも、何度もそんな時間がありました。
だからこの旅では、改めて「clear」という名前で活動している意味についても考えました。
私自身が自然からいただいてきた、心が澄み渡っていくような感覚や、世界の美しさに気づいた時の喜びを今度は写真を通して誰かへお渡しできたら嬉しい。
そんなことを、これからも大切にしていきたいと思っています。
約10,300km離れた場所まで来て、出会えたもの
日本から約10,300km。
飛行機を何度も乗り継ぎ、片道約2日をかけて辿り着いたグリーンランド。
出発前は、日本語でも英語でも得られる情報が想像以上に少なく、「一体どんな場所なのだろう」と、まだ知らない土地へ向かうワクワクでいっぱいでした。
実際に訪れてみると、私が想像していたグリーンランドとはまったく違う世界が待っていました。
陸地の大部分が氷に覆われていると聞いていたので、どこか寒く、冷たく、寂しい場所を想像していたところもあったのだと思います。
けれど、私が出会ったグリーンランドは、とてもおおらかで、のびのびとしていて、驚くほどあたたかく感じられる場所でした。
大きな太陽が空を淡いピンク色に染め、その光が穏やかな海に映り、巨大な氷山が静かに漂っている。
その景色を眺めていると、初めて訪れたはずなのに、なぜかずっと昔から知っていたものに再会したような、不思議な懐かしさを感じました。
もしかすると私にとってグリーンランドは、「ありのままで存在することの美しさ」を思い出させてくれた場所だったのかもしれません。
6日間のグリーンランド撮影を終えて
6日間の滞在は、振り返ってみると本当にあっという間でした。
初めて白夜を体験し、想像を遥かに超える大きさの氷山を間近で見て、4日間のミッドナイトクルージングでは、同じ海が毎晩まったく違う表情を見せてくれました。
空からは果てしなく続く氷の世界を眺め、カヤックでは海と氷をすぐ近くに感じ、トレッキングでは想像以上の道のりに、ぜぇぜぇ、はぁはぁしました。笑
中学生の頃から履いていたトレッキングシューズのソールが剥がれ、「今までありがとう!」とグリーンランドでお別れしたことも、きっとずっと覚えていると思います。
厳しい気候の中で小さな花が咲いていることに感動したり、ふわふわに見えたワタスゲを触ってみたら想像以上にしっかりとした感触で驚いたり、夕景を眺めながら座った岩が空気よりも暖かく感じられたこともありました。
まさかの蚊の多さに驚き、カヤックでは手の甲を日焼けし、遠くグリーンランドまで来てタイ料理を美味しくいただいたことも、全部ひっくるめて愛おしい思い出です。笑
旅を思い返した時に残るのは、きっと大きな絶景だけではないのだと思います。
その時に交わした会話や、身体で感じた温度、思わず笑ってしまった出来事まで含めて、その場所で過ごした時間そのものが大切な記憶になっていくのだと、今回の旅でも改めて感じました。
この景色を、これからも
帰国して時間が経った今でも、グリーンランドで撮影した写真を見ると、あの場所の空気がふっと蘇ります。
静かな海に吹いていた風や、想像以上に大きかった太陽、氷の青さ、船が海を進む音、カヤックのパドルが水に触れる音まで、不思議なくらい鮮明に思い出すことができます。
写真は、一瞬を切り取ったものです。
けれど私にとってはその一瞬の前後にあった時間や、その時の感情まで一緒に連れて帰ってきてくれるものでもあります。
だから私は、これからもカメラを持って世界を見に行きたいと思います。
まだ見たことのない景色に出会い、自然がほんの一瞬だけ見せてくれる表情を見つけた時には、その瞬間を大切にシャッターに収めたい。
そして、そこで私が受け取った感動をclearの作品として皆様へお届けしていきたいと思っています。
グリーンランドへ行くことを決めた時には、まさかこの土地からこれほどたくさんのものを受け取ることになるとは思っていませんでした。
遠かったです。
本当に遠かったです。笑
それでも、行って本当に良かったと心から思います。
グリーンランドで出会った自然や人々、そして今回の撮影を支えてくださったすべての方々に、心より感謝いたします。
そして、Vol.1からVol.4まで、長いグリーンランド撮影記にお付き合いくださった皆様、本当にありがとうございました。
写真と文章を通して、グリーンランドの空気や、私があの場所で感じた喜びや感動を、ほんの少しでも一緒に感じていただけていたら、とても嬉しいです。
世界には、まだ私の知らない美しい景色がたくさんあります。
これからもカメラと一緒に、その景色に会いに行きたいと思います。
そして自然からいただいた感動に感謝しながら、一枚一枚を大切に、皆様へお届けしていきます。
最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。
感謝を込めて。

clear Yuki




コメント